心身をヒールすることを自分自身や周囲の人々に行えるようになることは私にとってもとても重要なことであり、必須なことだと感じられました。

おはようございます。報告します。

夏至のころに自身の感情や行動を抑制するためのバルブもバッファーも吹き飛んでしまったあと、身近な人々との間に小さなトラブルがいくつか起きました。そこで、思考によって自身を制御しようという思いを「手放し」て、自身の感情と行動や相手方に成り行きを任せても大丈夫なんだということ、また、思考にできることは限られていることを学びました。

先週のある晩、夜中に目覚めてみると胃の前に、バレーボールくらいの大きさのきらきら光るものがイメージされました。灯りを点けてもイメージは維持されていて、呼吸のような拍動のような生き生きした伸縮が感じられ、ああ、これが自分の本体だという思いが浮かびました。やがて眠りに戻り、翌朝目覚めたときにはそのイメージは消失していました。最近、思考とも感情とも異なる自分が感じられて来ていることと関連付けて、このイメージを記憶しておこうと思います。

秋分の日であった昨日は、日中を通して眠くて体がだるく感じられていました。街を歩きながら次の思いが浮かびました。すなわち、これまで長く取り組んできた課題は概ね解決して終わっていること、これから取り組むべき課題は二つあること、この二つの課題に自分の深いところは思春期の頃から変わらず正対して来ていること、自分の浅いところ(思考と感情)もこれら二つの課題に正対して、ひとつひとつ取り組むべきことです。

眠くてだるい一日でしたが、夕方になって意識がすっとクリアになったように感じました。時計を見ると17時ちょうどでした。このように心身をヒールすることを自分自身や周囲の人々に行えるようになることは私にとってもとても重要なことであり、必須なことだと感じられました。この晩は、特に体が熱くほてることもなく、むしろ涼しくすっきりとした感覚をもって過ごせたように思います。22時ころに就寝しました。今朝は心身ともだいぶ整ってきた感じを持っています。

ありがとうございました。

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寺尾夫美子

感想をありがとうございます。朝一番に書いて下さったのですね。

大きな節の日はエネルギーの高まりと変化が同時にあるので、体がだるくなりがちです。今日はゆったりと寛いで過ごして下さいね。

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