2024年 令和6年
9月22日秋分
秋分のサイキックコヒーレント
in 縄文の郷
青森三内丸山遺跡
「東北へ行け」
高次元ワークを始めてから、しばしばこのような“どこそこへ出かけられよ”とのお導きを受け取ります。
平成三十年の春に、「なるだけ近いうちに伊勢に参られよ」とお導きを受け、7月に伊勢神宮へ。その翌年令和が明けた6月に、素戔嗚尊の草薙の剣の痕跡を辿って出雲大社へ。
コロナで移動の自由が解除されるのを待った令和四年に、安芸の宮島へ出かけ、素戔嗚尊の高天原への帰還を手伝う大鳥居くぐりを行いました。
そこから、素戔嗚尊の計らいで天と地を結ぶ「陰陽結合」のワークを、鳴門の渦潮で行い、やれやれ素戔嗚尊がらみの一連のお仕事が終わったかと安堵していました。
が、今年に入って、高次元ワークで高天原の神々からお導きを受け取る度に、東北のどこかに呼ばれている気がする・・・と、そんな感覚が続きました。
そして、いよいよ夏至を越えた辺りからに、近いうちに東北の私を呼んでいる地を見付け出し、早々に出かけなければならないと決意を固めるに至りました。
とはいうものの、7月に連発した全国各地の地震や、体験したことのない大豪雨を見るにつけ、のんびり旅行などに出かけられないのではないかと考えていました。
実際、予定をしても雨嵐で中止になるかも知れない・・・と、二の足を踏んでいたのです。
が、一通りビビった後、いやこの生き方は私ではないと決意し、秋分のときを選んで出かけることにしたのです。
決断すると事は速く、日本書記や古事記より古い日本の記紀が綴られているとされる「ホツマツタヱ」と言う古史古伝に出会い、そこから私がお導きをいただく神々が、実は地上で人間として生を受けていた存在であったことを知りました。
天照大神は、伊勢で誕生し、男性であり日本の天皇として地を統(す)べていたこと。日本の始まりは、五千年近く前に遡り、始めは青森に集落として治世されていたこと。
やっぱり東北。それも本州の北端。
今、縄文遺跡として保存されている青森の「三内丸山遺跡」には、人々の暮らしの跡があり、そこには私のお導きの中心である国常立尊が統治者として存在されていたと言うのです。
私を手招きしていたのは、国常立尊だったのか?
それは、そこに出かけなければ分かりません。
生きた痕跡があると言うのなら、その地に立ち、その地に触れれば、知りたいことが心の中に流れ込んで来る。
そして、国常立尊がわざわざ呼びつけて皆に知らせたいこととは何なのでしょう?
または、出かけて行けば、何かのお役目が果たせるのかも知れません。
そもそも、高次元ワークで東北が気になったのは、日本の地の波動とエネルギーが弱まっていたからです。
伊勢、出雲、宮島、鳴門と出かけたのは、日本の神々が日本の霊的な波動を保つために置かれた所謂日本のパワースポットを整え直す。
日本の要となる八ヶ岳に私に居を移させ、大地の霊性の見張り番のような役割を担った時から、まだ整えなければならない地があると感じていました。
それが、今回は東北であり、国常立尊の波動が残る三内丸山遺跡だったのです。
令和六年の秋分という、この後の日本の行く末を決める分岐点となるときに、国常立尊のお導きだけでなく地に残るその波動を身に受け、秋分を迎えたいと思います。
安芸の宮島のときのように、参加の皆様の心意気と霊性が助けになります。と言うよりも、一緒にお導きを担って参りましょう。
一人でも多くの方にご参加いただき、自分の為だけでなく私達を育んでくれたこの日本のために、意識になくとも魂の記憶にあるはずの今生でのお役目を、共に導かれ果たせたらと思います。
9月22日(日)は、午後青森入りしますので、三内丸山遺跡見学は夕方になります。
当日は現場からライブで皆様に地の波動を送ります。
これを下準備として、夜に行います秋分のスペシャルワーク「秋分のサイキックコヒーレント in 縄文の郷 青森三内丸山遺跡」で共に高次元へ飛翔しましょう。
きっと、これからの日本にとって、とても重要なワークとなると感じます。
一人でも多くの方にご参加頂くことを願っています。
令和六年、地震・豪雨など、未だかつてない天災に見舞われ、多くの災害予言が出されている令和七年へ、それは私達の力で収めることは出来ないのか?
少しでも大地に溜まった負の要素を祓い清め、大難を小難に変えるために、私達に託された神々の導きがあるとしたら。
そのために我ら天照大神の子孫で団結し、祓い清めに挑みたいと思います。
神の子である皆様方、いざ出陣でございます。
合掌。