冬至までに1つ過去生の浄化ができて、春分には目標をはっきりさせることができました。 そして、4月のサイコヒまでに動き出せたので綴りたいと思います。
夫美子さん、皆さん いつも有難うございます。
久々の投稿になってしまいました、どうにも頭が整理できなくて、申し訳ないです。
ですが、冬至までに1つ過去生の浄化ができて、春分には目標をはっきりさせることができました。
そして、4月のサイコヒまでに動き出せたので綴りたいと思います。
太古の昔、私は白龍と繋がる巫女でした。
ところが、その力ゆえに殺されるというとても受け入れ難い過去生があります。その恐怖から、私は自分の力を封印してしまいました。昨年8月のサイコヒで「それを解き放て。もう恐れるな」と導き手から言われ、戸惑いながらも祈りをそこに集中しました。導きはすぐに来ました。
古事記にありますが、崇神天皇の御世に疫病が流行り大物主神をオオタタネコに祭らせよとの神託をえてそのようにすると世が収まったというくだり… 大物主はずっと前に三輪山に祭られているので、これは祀る者を変えたということなんですね。
その頃巫女が行っていた祭祀を大物主の男系の子孫に戻したわけですが、じゃあ巫女さんたちはどうなったか?
記紀には明記されませんが、巫女たちはこれも神託によって殺され祟りを恐れ封印されたと言われています。(たまたま読んだ本に書いてあったのと、奈良に住んでいる友人が言ってました)
日本書紀に倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)という名前が出てきます、大物主が去ったあと死んでしまうという話で、この人は巫女で、しかも崇神天皇の時代の人です。どーにも気になったので、その御陵 奈良の巻向にある箸墓古墳に行きました。 昨年の10月です 三輪山のすぐ側です
間違いない! ここには殺された巫女たちが封印されていると感じました。重っ苦しい恨みや哀しみの空気が充満。私はその重たーい塊を肩に乗っけてしまいました。
その足で私は吉野の天河神社へと向かいます。
その神社で行われる瞑想の集いに申し込んでいたのです。
そこでは思いがけず(ホントに思いがけず)集った私たちに、宮司さんが秘技といわれる神事を執り行ってくださったんです。
詳しくは書きませんが、それは心の奥の方に染み入って、恨みや哀しみを解き放つ力がありました。
そして分かち合いのときに言われた宮司さんの言葉「それはあなたの力ではない、(辛い目に遭っても)あなたのせいではない」が静かに心に響きました。
さて、帰路についたとき、まだ時間があることに気づいてもう一度箸墓古墳に行きました。そこで不思議なことが起きました!
石段を登って鳥居の前に立ったとたん、いく筋もの光が次々に空へと登って行ったんです! 凄い喜びの波動で沸き返るなか、私はしばらくの間「ハーーーッ」と息を吐きつづけていました。
えっ 私はいま 巫女さんたちの 封印 解いた?
呪縛を解かれた私が、ここに来ただけでこういうことが起きた。
混乱する頭でもそう理解するしかない現実の体験でした。
私が転生するなかで積み上げてきた「陰」を1つ統合する度に、同じ傷を持つ誰かの闇を光に変えられるということだ。
私は山のようにたくさん「陰」を積んできたぞ。
これは自己否定ではなく、結構自慢気に言ってます。
サイコヒ、フルフロのおかげで自分が「陽」に転じたから言えることですけど…
2月のフルフロで神様に言われました。「そなたは、生き変わり死に変わりするたび、鍛え、仕込んできた魂ぞ」
春分のサイコヒ、フルフロでは、平家の一門にいた過去生が浮上しました。次は平家の哀しみの浄化かあと思いました。そして夫美子さんのレポートに、日本の中で、四国と北九州、下関が光が弱いと書かれたのを見て、私には「平家の哀しみの場所だ」としか思えませんでした。北九州、下関は壇之浦。四国には落ち人の里があちこちにあります。浄化されない思いが染み着いています。何ヵ所か落ち人の里には呼ばれて行ったことがあります。
4月のサイコヒの前に「とにかく行け」と導き手さんにせっつかれ、片道3時間、車をとばして一番近い瀬戸内海へ行きました。
瀬織津姫さまに教えて頂いた少しの日本酒をまいて…という浄化の祈りをやってみたんですけどーー いや、瀬戸内海はびくともしませんでした。圧倒的に 力不足!!
そりゃそうだ、私はまだ目覚めてないし お粗末さまでした
でも、導き手さんからは「それで良い、動かなければ成長はない、失敗を恐れるな」と言われました。始めからお見通しのようでした。テーマの最後に同じようなことが書かれてましたね。
サイコヒの前に動き出すことに意味があったのだと思います。
もう迷いません。
精進します。これからも、どうぞよろしくお願いします。
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寺尾夫美子
貴重な体験をとても丁寧に綴って頂きありがとうございました。
そっかー平家の悲しみなのか・・・と深く納得しました。
平家は幼い安徳天皇を壇ノ浦に沈めてしまい、ご皇室の悲しみの一つでもあると思います。
この御世代わりのときに、それを清めるための気付きが届けられたのはとても意味深いことですね。
眞由美さんが力不足と判断するのではなく、お仲間の巫女さん達の生まれ変わりと力を合わせることが道ではないでしょうか?
恐らく自然に導かれて集われることだろうと思います。
レポートを綴るときは、何を見せられたのか分からずとも、見たまま感じたまま省かず付け足さず素直に書くことにしています。
それだけに文字数が多くなりますが、無事に受け取るべき人に届いて良かったです。
またその後のお話しも聞かせて下さいね。