囲いのないエレベーターのようなもので猛スピードで上昇するイメージが浮かびました。

前回、今回と、当日はワーク時間ぎりぎりに横になり受ける(落ちる)という慌ただしい参加になりました。 とくに前回は日中が外仕事で慌ただしく、帰宅したときには、体も頭もやり切った感いっぱいで、とにかく横になって落ちて、目が覚めて終わってました。という感じで、レポートを読ませていただくと、講義を受けながら居眠りしていた生徒の気分でした。


今回は、時計が21時45分になっているのを見て、横になりました。

横になった途端、すごくクリアに、自分の中から言葉が出てきました。

じつは、今回のテーマ「魂が求める美しさ」について、何度か自分に問いかけ、自分の答えを探ったのですが、私の中では「わからない」のままでした。

新月のテーマ「命の喜び」にしても、本当に喜びを感じていたのか、感じたことがあるのか、私の中では「わからない」と言ってる自分がいます。

なので、「魂の美しさ」や「喜び」について、堂々と軽やかに「私は、こうです」と書かれている方たちには羨望の思いを抱いていました。

それが、横になった途端、クリアに言葉(文言)がつらつらと出てきて、「そうだ、これが私の答えなのだ」と思いました。

ただ、そのときに出てきた言葉を憶えていないのです。感覚としては、「私が選んできたことは、選ぶことは、すべて、それでいいんだ」と、「全肯定して生きる」みたいなことです。

加えて、今朝、「愛することを知らずに、この人生を終わらせない」と、2000年頃に宣言したのを思い出しました。


その頃の私の「愛する」というのは、世界中が、宇宙中が、敵になっても、自分だけは愛する人の味方でいよう。そんな「愛」でした。今は、一点に緊迫した感じではなく、円やかな広大な愛を持ちたいと思いますが、過去も今も、「愛する」ということを考察してみると、自分の純粋さ(いわゆる「(綺麗なイメージの)美しい」とはちょっと違う可笑しさを含む人間的美しさ)に行きつく気がします。

私にとっては、人間臭さ(愚かだったり、極端だったり、純粋だったり、滑稽だったり、みっともなかったり……)も、生きる姿勢として何が美しくて、何が美しくないという意識の下(もと)を外れて、つい、自然に、仕方なく、まんま生きている姿も美しさに思えます。それは、私が迂闊なまま生きてることが多いからかもしれません。


自分の中から出てきた言葉に納得したあと、早く皆さんのところに行かなくちゃと思い、そう思った途端、囲いのないエレベーターのようなもので猛スピードで上昇するイメージが浮かびました。そのときに、赤っぽい打掛(中は白い着物)を羽織った日本的な女の人が、下のほうからグーンと体が伸びたまま、上昇に付き添ってくれているように見えました。

その女性を私は「織姫さま」と思ったのですが、「何で、ここで織姫さま?」とも思いました。


サイコヒのあとの週末に、父の一周忌があり、バタバタしていたので、織姫さまのことを調べる時間がなかったのですが、織姫さまは瀬織津姫がモデルという説もあるのですね。うーん、ただ、私が瀬織津姫さまを見るわけないとも思っています。

上昇したあとは寝落ちしました。


その後、レポートに「怒りを覚えるような、自意識を揺るがされるような体験」が(人によっては)あるかもしれないと書いていただいてますが、「私、怒ってます」ということがありました。

この件については、しばらく自分で観察していこううと思います。


長くなりましたが、このたびも、ありがとうございます。

フルフィルのほうも、よろしくお願いします。

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