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瞑想の最中、一瞬海洋に登る日の出が見えたような気がします。

夫美子さん、スタッフの皆さん、参加された皆さん。昨日はありがとうございました! いつもサイコヒでは、開始早々はベッドで瞑想するのですが、いつの間にか寝てしまうパターンが多かったのですが、 昨日は軽い興奮状態にあったのか、終了時間までちゃんと意識がありました。

瞑想の最中、一瞬海洋に登る日の出が見えたような気がします。 さて、上昨年から私、MMK(モテてモテて困る)状態なんですよ。 え?結構なことじゃないの?と皆さん思われるかもしれませんが、私はどういうわけか結婚するのが嫌で逃げ回っていたんです。 何故結婚が嫌なのか。いい加減その原因をはっきり突き止めようと思い、ここ1カ月ばかり「なぜ?」と自分に問いかけていました。 自分の心を整理していくと、意外な原因が浮上してきたんです。 今までも幾度か書かせて頂きましたが、私は中学生のころからずっと母親の介護をしています。 介護をしていく中で、親族というのは意外と頼りになる存在ではなく、手を差し伸べるどころか臭いものにフタをするが如く、電話一本もかけてよこさない状態でした。 その一方で、常に暖かい言葉をかけてくれたり、力や知恵を貸してくれたのは、近所の方々や介護職の方々といった「近くの他人」の皆さんでした。 そんな人生を送るうちに、私は自分に関わる周囲の方々を、年上の方は兄・姉と慕い、年下の方々を弟・妹と思う癖が自然につき、何というか、家族と他人の境界線が非常に曖昧になっていったんです。 家族という限られたメンバーを大切にするのも重要な学びだとは重々理解していますが、今現在の私の考えは、「もっとたくさんの人たちに会って、みんなを家族のように大事にしたい」なのです。 分かりやすいイメージで例えると、マザー・テレサのような…?(私はそんな崇高な人間じゃないですけどね) 家族よりもっと大きい枠組みの中で、たくさんの人を大事に思いながら自分の夢を叶えていきたい。これが私が結婚を不要だと感じる理由である――。 文章にすると何やら抽象的ではありますが、そんな思いをこの1か月ほど強く思っていました。 すると今年に入って、私を追いかけまわしていた職場の男性が移動になったり(笑)、親族が突然他界したりと、周囲の風景が凄まじい勢いで変化を始めました。 現在、念じるとかなりのスピードで事象が現実になるというのを身をもって体感しております。 だからこそ、いい加減な祈りは許されないのだ、とも思います。 神々や導き手たちは、どんな呟きも聞き逃さず聞いている。 これは心強くもあり、かなりのプレッシャーでもあります。 思念に沸き起こる疑念や後ろめたさは陰。 心を陽の氣で満たすイメージを継続しながら、引き続き夢の実現を引き寄せていこうと思います。

瞑想の最中、一瞬海洋に登る日の出が見えたような気がします。
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