過去生の記憶
第2章
インド
魂の覚醒を体験した翌年の、1992年に初めてインドを訪れました。
このインドへの旅は、私にとって生涯忘れる事のできないものとなりました。
成長の旅は、旅に出ると決めたときから体験が始まります。
出発する前から、気付きを促すような様々な出来事が起こり、旅のテーマを決めてくれました。
旅は、「悟りを開く」かのような旅となりました。心の内側の隅々までが、旅の行程をこなす内に次々に浄化されていったのです。
旅を共にする仲間達とのやりとりの中には、それまで当たり前と思っていた価値観が、根っこそぎ崩れていくような気付きが多々ありました。
行程は、インドを北から南まで縦断するようなハードなスケジュールでした。インドのインフラがまだ整っていない時代の旅は、殆どがバス移動です。
整備されていない道を、延々と走る。時には一日12時間も移動に時間がかかった日もありました。
この旅の間、毎晩目を閉じると、インドの田舎道が延々と続く光景が見え続けました。毎日毎日、来る日も来る日も、目を閉じると道が続くのです。
それはまるで、映画を見ているかのように、在り在りとハッキリと、目を閉じていると言うのに今まさにそこにいるかのように、遠近感もしっかりある映像なのです。
バス移動で見た外の景色が目に焼き付いたのだろうと思うものの、そのあまりにもリアルな景色に目が冴え眠れない夜を過ごしました。
旅が折り返し、ネパールに入った夜のこと、目を閉じると更に続く田舎道の景色に、ふと、もうバス移動をしていないのに何故まだ続くのか・・・?と思った時、毎晩見ていた景色がバス移動の景色とは違うことに気付きました。
道は細く、左右には人が立っていました。そしてこちらを見ているのです。
そう言えば、毎晩見ていたのは、バス道ではなく、細い小道。しかも、いつも人が立っていてこちらを見ていました。
それに気付いたその瞬間、道を進む目線から年老いたシワだらけの手が前に延び、こちらを見ている女性の頭に置かれたのです。
女性はありがたそうに頭を垂れ、祈っていました。
これは、ダルシャン。
私が見ていたのは、行脚をするグルの旅。
その行脚をしているグルは、紛れもなく私自身の過去生なのでした。
突然光が現れ、見ていた景色は光でいっぱいになり、真っ白になって消えて行きました。
そして、この日を限りに、毎夜の道は現れませんでした。
インドを歩き続けた永遠とも思えるほどの映像は、いくつもの転生を意味していました。仏教徒で修行をしていた人生もありました。悟りを求めて、歩き続けた人生もありました。また悟りを得て、それを伝えて回る人生もありました。
まさに、これが過去生だと気付いた最後の道は、長い修行の後にグルとなったときの姿なのでした。
おそらく、何十回と、私はインドに生まれたことでしょう。過去に訪れた地で、その地の波動に触れることで、魂の記憶が呼び覚まされたのです。
初めて訪れるのにどこか懐かしいような感じ、見たこともない景色なのに見覚えがある感じ、その地の人々の営みに違和感がない感じなど、魂のご縁がある地に立つと魂の記憶が蘇ります。
この人生では初めて訪れたインドで、私は故郷に帰ったような思いを覚えたのです。
*ダルシャン:グルが与える祝福のこと。手をかざしたり頭に手を置いたりして魂を祝福する。
*グル:修行を重ね人を導く立場になった聖人
バリ島
インドを初めて訪れた年の暮れに、バリ島への旅をしました。
年末年始の休暇を利用し、神々が棲まう島としてヒーラー仲間達から聞かされた神聖な島を、どうしても訪れたくなって計画したのでした。
バリ島では、一般観光客が通常訪れるところは勿論のこと、特に神聖な地として知られている場所を選んで回りました。
その中でどうしても訪れたかった場所が、「ゴアガシャ」です。
そこは、ヒンドゥー教では有名な芸術と学問の神「ガネーシャ」が祀られていると言う洞窟です。中は灯りもなく真っ暗で、その暗闇の中でヒンドゥー教徒達が修行をしたと伝えられています。
ここを訪れる前日に、不思議なことが起こりました。
いつものように寝る前の瞑想と祈りをしていたとき、不意に象に乗ったガネーシャが現れたのです。
この前年からヒーリングを始め、既にヒーラーとして活動をしていましたが、この翌年からはスピリチュアルスクールを開講する運びとなっていました。
初めて訪れたインドでマザーテレサにお会いし、マザーからいただいた言葉がきっかけで、ヒーリングを伝えていこうと決意したのでした。
既に専門誌に広告を出し、10名以上のお申し込みをいただいていました。
この旅から帰るとスクールが始まる。そんな大きな始まりを前に、どうぞ導きを下さいと祈っていた時のことだったのです。
ガネーシャは、「ゴアガシャで待っている」とだけ伝えると、スーッと消えてしまいました。一瞬の神聖な波動と空気感。ガネーシャが行くと、パッと元の現実界の音とエネルギーに戻りました。
あまりにリアルにガネーシャが現れたので、むしろガネーシャって本当にいるんだ~みたいな驚きを覚えました。祈りながらも半信半疑、まさか象の頭で体が人間なんて・・・と思ってもいたのです。
神の姿は、人間が分かりやすいイメージを作ります。人間がそれを見ると、“あ、あの神様だ”と思うえるように、人間が作り上げた姿です。神的に言うと、“象の頭ならそれはそれでいいじゃないか”と言う感じでしょうか。
私の現在の導き手達は、私が姿や名前に拘らないので、特に姿を現すこともなく、名も名乗りません。いつも伝えられていることは、「それが真の導きであるかどうか、それだけを見極めていなさい」と。
当時は、ガネーシャが現れたとなると、いよいよ私は導かれていると実感し、翌年からのスクールへの覚悟を強くしたのでした。
ゴアガシャはとても神聖な波動をしていました。小さな穴の中には、せいぜい10数名が入ればいいところだと感じました。と、そんなことを思っていると、不意にそこに座ってチャンティングをしている自分を見たのです。
ずっと声を出して何かを唱えています。大した衣類をまとうことなく、浅黒い肌の色の青年が静かに目を閉じてチャンティングしていました。なるほど、私はここで修行していたのか・・と分かりましたが、昨晩ガネーシャに伝えられた「待っている」はどうなったのか?
何か神聖な感じがして何かが起こるのかも知れないと楽しみにしていましたが、過去の記憶をひとかけら思い出しただけで終わりました。
何だったのか・・と思っていた私に、その意味が分かったのは、帰国後、旅の写真を焼き回したときです。(当時はデジカメはなく、フィルムに焼き付ける写真しかありません)
ゴアガシャで撮った写真は、あの真っ暗な洞窟の中で撮ったにも関わらず、部屋全体が白く発光して映っていました。勿論フラッシュを焚きましたが、フラッシュで照らされた明るさではありません。
洞窟に置かれていた“神の石”も、白く発光していました。
洞窟の前で撮った記念写真では、私と夫のオーラが映っていました。外ではフラッシュしていないので、これが自然光で取れた光です。
ガネーシャは、こんな光を撮らせ、スクールをスタートする私への応援をくれたのだと分かりました。
ネパール
ヒーリングを始めた頃、瞑想をするといつも見えてくる樹がありました。
その樹は、真っ直ぐに立っていて、枝や葉っぱがわさわさと生い茂っていました。
幹の色がいわゆる樹の茶色ではなく、赤紫色をしていて、葉っぱの先が黄金に輝いています。
毎日毎日見えていた樹が、あるとき葉っぱを落とし、枯れてはいないものの元気がなくなっていたのです。
この様子を見てハッと気付きました。
それは、その時の私の心の状態とそっくりだったからです。それまで意欲的にこなしていたファッションデザイナーの仕事に対し、前のような強い興味が薄れているのに気付き、もう辞めても良いかな~と思った日だったのです。
ヒーラーの仕事を既に始めていて、もっともっとヒーリングを極めたいとの思いが強くなると同時に、あんなに大好きだったファッションデザインの仕事に未来を感じられなくなり始めていました。
自分の心と見えている樹がシンクロしたとき、ようやく毎日見ていた樹は、私自身であり、自分のオーラを見ていたのだと気付いたのです。
では、何故「樹」なのでしょうか。
それは容易に分かりました。
何回も転生を繰り返したネパールでは、その都度ヒンドゥー教徒として精進していました。ヒーリングを始めてから訪れるようになったネパールでは、行く度に、心も体もふる里に帰った安堵感でいっぱいになり、毎年毎年秋になるとネパールに帰りたいと思うようになっていました。
そして、そのネパリーの過去生では、いつも樹木の曼荼羅を前に祈りを行っていたのです。
曼荼羅と言えば、仏陀やヒンドゥーの神々が描かれているものですが、この気付きを得たときに、きっと樹の曼荼羅があるはず、そして今度の旅で出会えるだろうと確信しました。
今、フムアルフートのヒーリングルームに掛けてある曼荼羅は、その時に見付けた曼荼羅です。
「ライフツリー曼荼羅」と、現地でも知られているスタイルです。
毎日自分の樹を見て解読していく内に、樹が佇む世界には、季節があり時間がありお天気がある。それぞれに深い意味が保たれていて、それを解読することは自分自身の真実を理解することに繋がりました。
仲間や家族の樹も見させてもらいました。
すると、誰の樹にも、その人の有り様が、エネルギーやオーラの状態が、そして心と精神が今どこにいるのかがありありと現れていることが分かったのです。
そこから得られるメッセージを読み解くことが、私のリーディングスタイルとなり「ライフツリーリーディング」と名付けました。
「ライフツリーリーディング」は、私の過去生から発した独自のリーディング方法です。