マザーテレサとの出会い
第3章
初めてのインドへの旅では、コルカタでマザーテレサの施設を訪れ、マザー・テレサにお会いすることができました。お亡くなりになる数年前のことです。
私達が訪れた年、マザーは心臓の手術のためイギリスに行かれ、そのまましばらく静養されてましたので、私達がインドを訪れる頃までに帰国されるかどうかが大変気がかりでした。訪問しても会えるかどうか分からないまま、旅は近づいてきます。
しかし、皆の思いが通じたのでしょう。マザーは私達が訪れる数週間前に、元気になってインドに戻って来られたのです。
マザーはこのとき82才。体は古くなってはいるものの、言葉づかいも所作もとてもしっかりとしていて、愛を語るマザーの声は、とても力強く情熱溢れるものでした。
日本から訪れた私達を祈りの部屋に通して下さり、そこで1時間ほどお話しを聞かせて下さいました。そのあと、一人ひとりにダルシャン(祝福)を下さり、頭を「よしよし(英語で)」と言って撫でて下さいました。そして、アルミでできた“おメダイ”(ペンダントトップのメダル)を手渡して下さったのです。
インドのカルカッタでマザーテレサにお会いした時、何故、白人の一女性が、インドで一番貧困の町カルカッタへ来たのか分かりました。
"世界中から、飢えと貧困のために死んでいく人を1人でも多く救いたい"
マザーの志しはとても崇高で、強く、愛に溢れるものでした。
インド中を歩き回って外反母趾になった裸足の足は、マザーの取り組みがいかに壮大で長い年月に及んだのかを物語っていました。
「世界中から貧困のために死んでゆく人々を一人でも多く助けたい」
マザーの願いは、私の心の奥深くに染み込みました。そして、
「私の手伝いをして下さい。それはインドでなくてもできます。 あなたの国で、あなたの街で、あなたの周りの人々に、あなたの手が届く人に手を差し伸べて欲しいのです。」
と、マザーが言葉を下さいました。
“人の役に立つ仕事がしたい”
多くの人がそんな思いを携えていることでしょう。では何をすれば良いのか?
当時の私は、ー素敵な服をデザインすることによって人の夢や希望を叶えるーとの信念で仕事をしていました。それが、魂の覚醒と共に、もっと直接的な働きかけが出来ないものかと考えるようになっていました。
自分の役割は何か?
世の中のため、人のために働くとしたら、マザーのように「死にゆく人の家」を設立したり、貧しい人々に手を差し伸べたりと、多くの人が壮大なイメージを抱くことでしょう。私もそうでした。
しかし、マザーのひと言で、私の意識が激変しました。
私の周りには、極端に貧しい人も、死ぬ場所が与えられずに苦しむ人もいないけれど、私の手が必要な人に、手を差し伸べることはできる。
私は、ヒーリングを通してマザーのお手伝いができると思いました。ヒーリングを分かち合っていくことで、世界が平和になる一役を担えると考えたのです。マザーから頂いた言葉によって、私はスピリチュアルヒーラーとして生きていく決意をしました。
魂の覚醒後、既に個人的なヒーリングを提供するヒーラーの活動はスタートさせていましたが、まだファッションデザイナーと言う本業を持ち、週の殆どを青山のオフィスで過ごしていた頃のこと。まだファッションデザイナーを辞める決意をしたわけではありませんでしたが、土日を使って講座を開くことは出来る。
その思いを持って帰国後、すぐにスクールのカリキュラム作成に入りました。
幼い頃から自分の能力に疑問を持つ度に探求してきたこと、レイキマスターとの出会いによって解明された自分から発するヒーリングエネルギーの豊かさ、何より宇宙から降ろされた莫大なエネルギーを分かち合って行くと言うことなど、きちんと順序立てて組み立てました。
フムアルフートスピリチュアルスクールが始まったのです。
マザーからいただいたおメダイは、マザーの願いを引き受けた決意として、今も肌身離さず着けています。
ヒーリングは、世界平和を願ったマザー・テレサのお手伝いをする私の方法です。
そして今は、私自身の願いである世界平和のために、これからも変わらず、ヒーリング活動を続けていくつもりです。
世界中の人々が、自分自身のためのヒーラーとなりますように。 合掌