3/21のフルフィル、サイコヒ共に、ありがとうございました。
3/21のフルフィル、サイコヒ共に、ありがとうございました。
丁度、全日の夜戻ってきたばかりで、疲れで一日フワフワしておりました。
フルフィルは寝た状態で受信し、サイコヒは、集中できないまま横になって受けました。
サイコヒの最初は、青紫や青緑の光が煙の様に形を変えながら漂っているのか見え、その後、白金色(白っぽい金色)の龍の頭が見えていました。その後も何かを見た様に思うのですが、よく覚えておりません。今回は寝落ちする事も無く、様々な雑念が浮かび..それを消しながら…、.思う様に集中できないままでした。それでも自分の中で、「志」は明らかになっておりましたので、そこに思いを寄せながら…何とか日本時間22:50まで(ふと起き上がった時がこの時間でした)横になったまま、自分なりに取り組んでおりました。
皆さんと一緒に上に行けている事を願うばかりです。
体験ですが、昨年の冬至直前に、これまでずっと突かないでいた「開かずの扉」に手を付けてから、ジワジワと私の根っこ部分に居た「思い込みの私」が見えて来てます。3月初めに実家に戻った時に(追加のサイコヒの2日前です)仏壇の前で、母と話ができたのを機に、自分が何故あの「思い込みの私」でいたのか、その理由が見え始めました。
幼い自分には、昨年末に既に憐れんで寄り添ってやれていたので、自分の痛い感情抜きで、出てくる事実を見る事が出来ました。
拍子抜けするほど、いい加減と言うか、軽い考えから、私は随分幼い頃から 家族の中で「ある位置」に置かれ、役に立たない子などとされながら、人の痛みのはけ口と言うか、そう言う物を受け取る様な「役目」を負っていたんだという事が解りました。
私自身それを役目と思っていた所もあって、ピエロの様な何があっても笑っている様な子で、全て良かれと思って、自分から納得してやっていたつもりでしたが、許容量を超えていて身体に色々な形で出て来てはいました…。
だから、突然飛んでいく事に不安も迷いも無かったんだと解りました。
皆、ぶつける事はしても、(真実を曲げてまで、私が悪者になっていた事については、もう一度 事実を証明しつつ話しました)誰も私の痛みについては、無関心だったんだと…、それくらい、私と言う人間は都合よく使える存在になっていたんだという事も見えてきました。
今の私が、それを怒りや、痛みの感情を伴わずに話せる様になっている事は幸いでした。
淡々と何度も真実のみ繰り返して伝える事が出来ました。
そして...、罪悪感の塊で生きていた私が、あの頃 自分の役目と思っていた、「家族を繋ぐ役目」は、それなりに出来ていたのかな?とも思えて、あれはあれで良かったと思えてきて、少し救われました。
この体験を超えて、こちらに戻って来て…、私がここでも どれだけ罪悪感を抱えたまま自分に制限をかけ、課題を背負わせて生きていたのかが解りました。
生きていた。。。と言うよりも、死んでいた。。。と言った方が良いくらい…。
よくあんな精神状態の